Darwin's night mare ダーウィンの悪夢
「『ナイルパーチという魚が放たれたタンザニアはビクトリア湖。白人の腹を満たすためにヨーロッパへ運ばれ、その代わりにカネをもたらすその魚の周りでは、売春・不衛生・貧困の中で生きるタンザニアの人々がいた・・・』
という筋書きで映画を作ったら売れると思うんですがどうでしょうか。」
「うん、いいね。環境問題とかグローバリゼーションとかに敏感に反応する方面の人にウケそう。予算もかからないし。」
とかそんな会話の絵が浮かんでくる映画。
映画が伝えるとおりに、ナイルパーチがカネと仕事をビクトリア湖にもたらしたなら、住人の生活は劇的に向上したはずだし(おそらく実際にそうなのだが)、もしこの魚の登場が実はたいしたインパクトもない出来事だったのなら、この映画は針小棒大の見本である。
しかし一応ドキュメンタリーの手法になってるせいで逆に編集とかストーリーの恣意性が強調されてしまっている気がするんだが、、、普通の人は逆に、あんまりにも不自然すぎて、この映画のメッセージに疑問を持つんじゃないだろうか。確かにアフリカが発展している、人々は豊かになってきている、っていう映画をとっても絶対ウケないので、表向きはステレオティピカルな話にしておいて、見た人には遠まわしに事実を伝えるという、、、、なわけないか。
そんな感じで基本的にはひどい映画なのだが、いい脇役がいて、タンザニアの女の子(売春婦)を殺しちゃったり故郷から離れてさみしそうだったりあんまり整備されている風には見えない輸送船に乗らされてたりする、ロシア人のパイロットたちである。国の窮乏と人生の悲哀とは、と思わずにいられない彼らの姿を見て、オーストリア人の監督が撮りたかったのはアフリカ人Disり映画ではなくロシアDisり映画だったのか、となんとなく納得した気持ちで映画を見終えてしまうのだ。(そんなわけないんだけど)