tkinuiの日記

見聞きしたものの備忘録

101年目のロバート・キャパ

大学1年の夏学期に今橋映子先生の写真の講義をとった。講義名はよく覚えていないが比較文化論とかだっただろうか。あの時は(あの時も)、受験勉強とボートしかしてきていない空っぽの人間だったから、カルティエ=ブレッソンの展覧会の批評を8000字書いてこいと言われても何を書いたらよいか皆目見当がつかず、母(美術作家)に相談したのを覚えている。

 

講義の内容は写真史と写真の鑑賞法みたいなものだった。ロバート・キャパの名前は、当然だが、何度も登場した。もしかしたら数回分がキャパの解説だったかもしれない。

キャパといえば「崩れ落ちる兵士」だが、たしか講義の時点(2007年)では、やらせ写真かどうか議論になっている、という話があって、wikipediaを読む限り、どうも最近ではやらせ説が有力らしい。展覧会では「本当に撃たれた瞬間を撮ったものか、議論がある」みたいな書き方だったが、これは「これはやらせ写真です」とか書くと白けてしまうからだろう。個人的には、ベトナム戦争の写真を撮りに行って、でもディエンビエンフーには間に合わず、キリスト教の墓地で嘆くベトナム人を撮ったりしている間に道端の地雷を踏んで死ぬというのも、結構間抜けな話だと思うのだが、なにしろ写真の世界の伝説なので、英雄的な最期ということになっている。

 

しかし作品を見るとそれも納得で、「崩れ落ちる兵士」に限らず、展覧会の写真は「完璧」なものばかりだった。構図、ポーズ、表情、被写体がしていること、背景。こんなもの作られてしまったら、後の世代は戦場に行ったり飢餓の国に行ったりするしかなくなるのもわかる。

講義ではキャプション、トリミングも含めて写真を見よ、と習ったけれど、殆ど読み取れないような小さなフォント(しかも英語のみ)で印刷されたキャプションと、「完璧」な作品と、11前から大混雑の会場を見ていると、細かいことはわからなくても人にメッセージを伝えるのが写真のすごいところだなあと、一回りして結局小学生並みの感想を持った。